皆が当事者、そして大人の関与を

いじめ問題で難しいのは、する側と、される側の感じ方の相違にあると思うのです。

もはや中年となってしまった私は、子供の頃「いたずら合戦」のようなことをしており、机、自転車逆転現象など、出来事だけ見れば「いじめ?」とも思われることを多くされてきました。

その反面、その相手のノートの表紙に「バカ」と大書するなど、それなりにお互い好意を持って(というのかどうか)やっていたのです。少なくともお互いお約束、後にいい思い出になるパターンですね。

逆にちょっとした一言がずっと相手を傷つけていることもあります。それに気づいていながら、やり続けるのを「いじめ」というのでしょう。

見た目の現象だけで判断するのは「いたずら」を楽しくやりあう関係性まで失ってしまうので、あまりベストな方法ではないような気がします。その反面、今の時代はしっかりと周囲の目が行き届いていないといけない点もあり、窮屈さとの折り合いが難しいですね。

しかし、最近何か被害を受けたら「被害者と加害者」と言う構図をはっきりさせて戦わせなければいけない、と言う図式に持って行きがちなのには、違和感を感じます。

人間関係のトラブル解決方法は、当事者同士の解決です。そのために、日常から子供などの人間関係に複数の人間、大人などが絡んでおくことが1番大事だと思います。

いじめで1番つらいのは孤立です。しかし、周囲にやや距離感のある人がいるだけで、救いの第3者になる可能性があります。システムを整えて他人事のような顔をする前に「人はすべて何かの当事者である」と思っておくべきでしょう。

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